
辰巳陽一
TeamSTEPPS Master Trainer
近畿大学病院 病院長補佐/安全管理部 教授
近畿大学病院において,2012年から医療職以外の職種も含む全職員への受講を目標に,院内でのTeamSTEPPS研修を続けている。また2013年8月には,近隣の病院と共同し,南大阪医療安全ネットワークを設立。米ワシントン・プロビデンス病院およびAHA(全米病院協会)のTeamSTEPPSマスターコースならびにAHRQ主催によるプライマリケアバージョンのマスターコースを修了。
第38回
医療安全の先人の教えを伝えるには
~何を? 誰に? 誰が?
私は,某大学の安全管理部門で働いていますが,ちょうど今,来年度の学生教育プログラムを提出しなければならない時期となり,頭をひねっている真っ最中です。
医療安全の先人の知恵と新しい流れを伝える対象は,医学生,看護学生だけではなく多岐にわたります。私たち老医師が学生の頃は,医療安全の概念など微塵もなく,今でも「医療安全は当科にはいらない」と,つい本音を吐露してしまう管理職もいます。病院管理者への教育・研修はどうしても必要でしょう。一方で,医療安全管理者は,大規模病院では継続した医療安全専門家が雇われているかもしれませんが,全病院の8割近くを占める中小病院では医療安全管理者は2~3年おきに交代し,いつでも新人の状態にあります。また,我が国では医療安全を教える人材を育成するシステムは存在しません。
今回は,私たちの医療安全教育の今を考えてみました。
医療安全を誰に伝えるの?
医療安全は,言い古された言葉を使うと,医療の根幹です。かの医療の質の父であるA.Donabedianも述べていますが,質の悪い・安全でない医療は,医療行為を行わないよりたちが悪いのです。患者が病院に入った時に初めて接する受付事務員から最前線の医師に至るまで,医療の質と安全についての理解を進めていく必要があります(図1)1)。しかし,医療の質と安全の改善について,本音を言うと,そこまで頑張って進める必要があるのかと感じている医療施設の管理者の方は,まだ少なからずいるようです。ですが,本当は医療施設のすべての職種の皆さんが,内容の差こそあるものの身に付けなければいけない知恵なのです。
図1 医療の質と疾病経過の断絶

ですから,その対象としては,①医療安全管理者(初心者,経験者〈継続教育・アドバンス教育〉),②医療系学生・現場医療者(医師,看護師,薬剤師,臨床工学技士,理学療法士など),③医療安全専門家・研究者ということになるでしょうか(表1)。ただし,同じ対象者でも,①②と③では若干趣が異なります。
表1 医療安全教育は誰のための教育?

そもそも医療安全では,医療事故を臨床現場でどの程度減らすかという実学の側面と,医療行為・医療安全対策が科学的に妥当なのかを検証するという,伝道師(Evangelist)か,カタツムリ(Snails)か,すなわち臨床家(現場担当者)か,研究者(専門家・教育者)かという議論が長らく続いてきました。近年,科学的な検証が少しずつ進んできているとはいうものの,現在でも医療安全を学ぶ対象の大半は,現場の医療安全管理の担当者です2)。医療安全教育を考える上で,ここを意識することが肝要です。
医療安全をどうやって伝えるの?
まず,医療安全教育の対象が将来の医療現場の担当者であることを念頭に,何をどうやって教えるのが効果的なのかを考えてみたいと思います。
医療安全に限らず,本質的に効果的な教育プロセスを考える時,その結果受講者が行動変容してくれて,現場でその内容を活用できること,これが一丁目一番地になります。ところが,行動変容を促すためにどのような学習方法が有効かを考えると,そうは簡単にはいきません。表2は,米国の国立訓練研究所(National Training Laboratories Institute)の学習ピラミッドモデルです3)。
表2 学習ピラミッドモデル

残念なことに,このモデルは,学習定着率の根拠が明確ではないことから批判も多いのですが,一方で頻繁に引用されることから,別名ゾンビモデルとも呼ばれています。ただ,有名な学習評価モデルである,カークパトリックモデルとその内容が符合するのに加えて,カークパトリックモデルが学習評価方法であるのに対し,学習内容とその効果について触れており教育方法の概念の理解の助けになることが,多く引用される理由のようです。少なくとも,これらからうかがい知れることは,単純な座学では効果が乏しいこと,最低グループディスカッションを行うことが推奨され,可能ならその実践方法を立案してその運用の検証をしたり,メンバー同士で互いに教え合うなどの内容は検討したいところです。でもそれは,対象の多くが多忙な医療安全実務者であることから,医療安全学習のハードルを上げることになりかねませんが,そのあたりを頭に置いて続けましょう。
では,誰にどのような内容の研修をしていくべきでしょうか。実際の例を見ながら考えてみたいと思います。
誰に何を伝えるの?
医療安全教育の内容は,実践するのか研究するのかで異なるのでしょうが,まず項目別に考えてみると,医療安全・医療の質の総論・各論に加えて,医療安全に関する法律は避けられないでしょう。それ以外に具体的対応として,コミュニケーションとか事故の分析方法,院内の広報の仕方など多くの課題が存在します。加えて,組織論とかチーム論とか組織を動かしていくという概念が必要ですし,各職種・分野別安全対策や継続して学習するプログラムについてなども必要でしょう(表3)。
表3 医療安全教育で何を教育?

ただ,我が国の医療安全教育プログラムと欧米のものを比較すると,我が国のものは内容を覚えるところから始まるのに対し,欧米のそれは医療チームの概念から始めている印象を持ちます。
さらに,教育の内容を機能的に比較してみると,それぞれはオーバーラップするものの,①医療の質と安全の根幹を成す理論・概念を知る必要があるでしょう。例えば,「ヒトは間違える」とか「Just Culture」とかがあります。また,②知識としては,人間工学・認知心理学などヒューマンエラーやレジリエンスに関するものや組織論,医療の質改善法をはじめ,チーム医療プログラムなど多岐にわたりますし,③実践方法として,具体的な医療事故分析,事故対応・患者対応,最後に④各種分野別の詳細な方法論や⑤その継続学習などになるでしょうか。
具体的な例をいくつか見てみましょう。まず,我が国の平成28年度版医師国家試験の医学教育モデル・コア・カリキュラム(表4)を見てみると,医師として求められる基本的な資質・能力として,プロフェッショナリズム,コミュニケーション能力,チーム医療の実践,医療の質と安全の管理とありますが,一般教養というイメージから強く,このあたりに医師の医療安全教育への課題が見え隠れします4)。
表4 誰のための教育?(学生〈医師〉):医学教育モデル・コア・カリキュラム平成28年度改訂版における教育内容

ただし,2017年の日本の国立大学における卒前教育の現状に関する報告で,医療安全の講義時間の中央値は6年間で約8時間,そのうち医療安全担当者が行うものが2時間。実習に至っては,全体の中央値が2時間,医療安全部門が行う実習はゼロというのが現状で,内容の薄さはいかんともしがたいところかもしれません5)。一方で,WHO医療安全教育カリキュラムガイド(医療系学生用)の教育内容(表5)を見てみると,「医療安全とは」から始まり,ヒューマンファクターズ,複雑系,チーム,失敗から学ぶ,リスクの理解,医療の質改善,患者家族参加,感染,処置・薬剤に関する安全など,かなり網羅的かつ具体的で意識の違いが見え隠れします6)。
表5 誰のための教育?(学生):WHO医療安全教育カリキュラムガイド(医療系学生用)における教育内容

参考までに,当方の医療安全教育プログラムを見てみると,私が医療安全担当になった2011年頃は,先ほどの国立大学のデータと同様6年間で4コマというものでしたが,長年の闘争と教育担当の先生の援助の結果,現在は6年間で講義・実習を合わせて約50時間程度になり,次年度のカリキュラム変更で医療事故事例実習はさらに増える予定です(表6)。
表6 誰のための教育?(学生):近畿大学医学部4学年医療安全コース(計29時間+試験)

ここまで見てみると,(医)学生の医療安全教育の課題としては,①必要講義時間の指定がない,②Up to dateな学生向け教育プログラムが存在しない,③職種間共通・職種間独自のプログラムが存在しない,④全国統一の医療安全教育プログラム・ガイドラインが存在しない,そして⑤多岐にわたる内容を教えることができる人材が少ない,などでしょうか…。これからです。
次に教育対象を,学生から医療安全担当(管理)者に目線を変えてみましょう。まず我が国では,医療安全管理者になるために,40時間の医療安全管理者養成研修の履修が義務付けられています。研修自体は,各種病院協会,医師会,看護協会,医療安全系の学会で受講可能ですが,それぞれ特徴は異なるようです。詳細は他に譲りますが,特徴を簡単にまとめると,①全40時間:内容は専門的,数日で集中,②1コマ60~90分:講義方式中心 (一部GW),③知識と方法論習得に重点,④職種は一般に不問:職種による必要性の差異への対応は困難,⑤病院形態(規模)は問われず,あまり考慮されていない,ということになります。特に⑤は重要で,医療安全管理加算取得のためには医療安全管理者が必要ですが,このプログラムの目線は特定機能病院をはじめとする大規模病院に向いているように思えます。一方で,日本の大多数の病院は中小病院で,さらに2~3年ごとに担当者が変わっていきます。自分の病院の規模・レベルに医療安全の教えを咀嚼し落としこんでいく方法を身に付けるのは難しいものです。これらのプログラムを俯瞰してみると,教育の意図が体系的に組み立てられているという面では,特に日本看護協会のプログラムが秀逸であるように思い,大項目を抜粋しておきます(表7)7)。ただ,看護師さんしか受講できないのは残念ですが。
表7 医療安全管理者養成研修プログラム(日本看護協会)

一方,医療安全教育プログラムについて海外に目を向けてみると,内容はやや趣を異にします。ここでは,カナダの患者安全教育プログラム(PSEP)の例を見てみます。カナダのプログラムでは,総論として医療安全の歴史と考え方の詳細を述べた後,各論としてシステム思考,ヒューマンファクター,コミュニケーション,組織・文化,患者中心の医療,リーダーシップ,薬剤の安全,インシデント分析法,質の管理などのほか,専門項目として集中医療・救急,長期療養型施設,緩和,介護,周術期,感染,医薬品,メンタルヘルス・自殺,暴力対応,隔離と拘束など詳細な内容に触れた後,さらに継続学習プログラムが用意されています。そして,内容を見てみると,根底に患者・家族,医療チームという概念を常に包含しており,形式的に時間枠が決められているのではないことがうかがい知れると共に,この内容は追加読本も加えると膨大で,自己学習するという意識が必要かと思います8)。
確かに,現場のスタッフは忙しいので,そんなに時間はとれないという向きもあるでしょうが,一方でさらに学びたいという医療者に材料が提供されていることは素晴らしいことではないでしょうか?
誰が伝えるのか?
先にも触れましたが,医療の質と安全の内容は確認業務から組織論・心理学に至るため広大です。すべてをマスターするのは容易ではありません。そう考えると,誰が教えるのかというのは重要な課題です。
現在,我が国で医療安全講座がある大学は10校に満たないかと思いますし,専門の教育機関は稀です。医師に特化した優れた医療の質改善を学ぶプログラムは存在しますが,まだ残念ながら間口は狭いかと思います。また,学会が開催する強制ではないコース(継続学習・高度医療安全学習)も,そのプログラムは確立されていませんし,講師に特にライセンスや基準があるわけではありません(あればよいというものでもありませんが)。さらに,医療安全の現場経験のない講師の方々が,ご自身の成功談や組織管理方法を安全管理として伝えたり,他分野の知恵をそのまま伝えたりもしています。一方で,医療安全管理経験のある方の中にも,以前の責める型の安全管理を伝えることがあるかもしれません。このあたりをどう解決するのかが,最後の課題です。
医療安全管理教育者の育成プログラムの例として,AHRQのThe Patient Safety Education Project(PSEP)9)があります。これは,医療安全教育プログラムのトレーナーコースなのですが,概念は"壁のない大学モデル"とされ,緩和ケアと終末期ケアの教育プログラム(EPEC)に倣ったものです。これは,受講者(End-learner)が「PSEPトレーナーコース」を受講し,終了すると安全トレーナーの資格を得ます。さらに専門能力開発ワークショップを終了し,マスターファシリテーターとしてトレーナーを育成するというものです。そして,コアチームがこのマスターファシリテーターを管理します。現実の運営には困難があるようですが,医療安全教育を考える上では,視野に入れなければならないものかと痛感します(図2)。
図2 壁のない大学モデル

おわりに
医療安全と医療の質などの教育について,先人の知恵をどのように現場に伝えていくかということを考えてみました。ただ,自分を振り返ると,「独学」と「継ぎはぎ」の付け焼刃の繰り返しで,ここまで仕事をさせていただいていることを少し恥ずかしく思うと共に,本当の医療現場の医療安全管理者を念頭に置いた教育プログラムが,我が国でもつくり上げられることを夢見て,シラバスづくりの仕事に戻ります。
引用・参考文献
1)Donabedian, A. (2003) An Introduction to Quality Assurance in Health Care. Oxford University Press, Oxford.
2)Evangelists and Snails Redux:The Case of Cholesterol Screening Davidoff,Frank MD,Annals of Internal Medicine Vol.124(5),1 March 1996
3)Letrud, Kare (2012), "A rebuttal of NTL Institute's learning pyramid", Education (133): 117-124
4)文部科学省:医学教育モデル・コア・カリキュラム(平成28年度改訂版)https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/033-2/toushin/1383962.htm(2021年11月閲覧)
5)鳥谷部真一,本間覚,深山治久,安田あゆ子,藤原卓:国立大学における卒前医療安全教育の現状,医療の質・安全学会誌,Vol.12,No.1,P.5〜14,2017.
6)WHO患者安全カリキュラムガイド多職種版
https://www.who.int/docs/default-source/patient-safety/9789241501958-jpn.pdf?sfvrsn=848131c4_1(2021年11月閲覧)
7)日本看護協会:2021年度医療安全管理者養成研修プログラムhttps://www.nurse.or.jp/nursing/education/training/safety_training/pdf/program2021.pdf(2021年11月閲覧)
8)Patient Safety Education Program-Canada
https://www.patientsafetyinstitute.ca/en/education/PatientSafetyEducationProgram/Pages/default.aspx(2021年11月閲覧)
9)The Patient Safety Education Project: An International Collaboration
https://www.ahrq.gov/sites/default/files/wysiwyg/professionals/quality-patient-safety/patient-safety-resources/resources/advances-in-patient-safety-2/vol2/Advances-Emanuel_19.pdf(2021年11月閲覧)
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